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最高裁判所第一小法廷 昭和42年(オ)1396号 判決

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人棚村重信の上告状および上告理由書記載の上告理由について。

本件賃貸借は、被上告人、上告人ら各先代当時(大正時代)に始まつたもので、建物所有を目的とし、賃料は、毎年末までにその年分を支払う約定であつたが、その賃料は、幾度か改訂されて最終的には年二万六〇〇〇円となり、被上告人は、本件土地上に本件建物を建築所有しているものであること、被上告人は、手許不如意のため昭和二三年から昭和三五年までの賃料合計金一四万七三九六円のうち金一一万七三九六円を延滞したので、上告人らは被上告人に対し昭和三六年三月八日新潟地方裁判所長岡支部に右延滞賃料およびその遅延損害金の請求訴訟を提起したこと、右訴訟は、同年四月二一日の第一回口頭弁論期日において両当事者の同意のもとに調停に付されたこと、右調停において、被上告人は、当初から延滞賃料の額およびその支払義務を認めてはいたけれども、手許不如意のため、できれば分割あるいは損害金の免除を求めたい意向があり、上告人側もとくにこれに反対しなかつたため、換言すると、延滞資料の支払方法について当事者間においてなお多少の協議をなす必要があつたため、第一回同年五月一二日、第二回同月二六日、第三回同年六月二〇日の各調停期日はそれぞれ続行されたこと、調停委員会としては、被上告人に対し、右延滞賃料は支払うべきものであり、もし、これを支払わないときは土地明渡という事態も予想されるから早急に支払うべき旨の説得をしており、被上告人としても、右調停手続において誠意をもつて解決を図るべく努力していたこと、また上告人側も調停の成立を図る態度をとりつづけていたので、被上告人は、右延滞賃料の履行は成立すべき調停条項にしたがつてすれば足りると考えていたこと、しかるところ、上告人らは、訴外棚村重信弁護士に委任し、調停の係属中である同年六月二〇日突如として、被上告人に対し、右の賃料支払請求の訴提起を支払の催告とし、これに対する賃料不払を理由に本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなし、家屋収去土地明渡を求める本件訴訟を提起したこと、被上告人は、これに驚き即刻上告人らの延滞賃料支払要求に応じてその宥恕を請う以外に方策はないものと観念し、その直後開かれた同年七月一三日の第四回調停期日に臨んだこと、しかし、支払資金のあてがなかつたので一部分は電話公債を額面で受取つてもらいたい旨の要求を出したところ、当日上告人らの代理人として出頭していた弁護士棚村重信がこれを了承したので、全額一時に支払う見込がつき、右期日に被上告人、棚村弁護士間で、被上告人は、上告人らに対し未払賃料を同年七月末日かぎり支払い、上告人らは右未払賃料の遅延損害金を放棄し、訴訟費用および調停費用は各自弁とする旨の調停が成立するに至つたこと、その際上告人らの代理人である棚村弁護士は、調停委員会に本件訴訟が係属している旨の申出をしなかつたし、被上告人に対しても本件訴訟のことについてはなにも触れなかつたので、被上告人は、本件訴訟の原因は、ひつきよう、被上告人の右賃料延滞にあるからその原因が調停成立により解決した以上本件訴訟のことは許してもらえたものと考え(また、そのように期待したがために被上告人の資力からすると多少無理があつた前記調停に応じたのである。)、本件訴訟のことを調停委員会に申し出なかつたため、調停委員会は、本件訴訟の存在を知らず、したがつて、右調停においては未払賃料の支払についてのみ合意を成立させることによつて本件賃貸借における争いを解決したものと考え、より根本的な争というべき本件訴訟には触れることがなかつたこと、そして、被上告人は、上告人A1の代理人でもある上告人A2に対し、同年七月末日調停の際の約旨どおりの提供をしたところ、同上告人は異議なくこれを受領したこと、かくして、被上告人は本件賃貸借に関する一切の問題が解決したものと安堵していたところ、上告人側において本件契約解除は有効であるとして本件訴訟を追行し、被上告人に対し家屋収去土地明渡を求める態度を捨てず、被上告人がその後の賃料を提供してもこれを受領しないので、被上告人が昭和三六年から昭和四〇年までの賃料として金一三万円(一年分二万六〇〇〇円)を弁済のため供託したところ、上告人らは、昭和四一年一二月二日および同月二六日の二回にわたり何らの留保をすることなく、右供託金の還付を受けたこと、これらの上告人らが本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をするに至つた経緯およびその背景についての原審の事実認定、判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、首肯することができる。

ところで、右認定事実によれば、被上告人は、相当長期間にわたつて賃料を延滞し、一方、上告人らは、延滞賃料の支払を求める訴の提起を催告として、その相当期間経過後に本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしているのであるから、特段の事情がないかぎりは、右解除の意思表示は有効であること多言を要しない。しかしながら、本件においては、上告人らが右解除の意思表示をしたときは、右延滞賃料請求の訴訟が調停に付され、その後賃料の支払方法に関する合意に到達するために三回にわたつて期日が開かれ、両当事者の態度からその合意が遠からず成立することが予想しえた時期であつて、その調停が成立した場合には、賃料債務の履行遅滞の状態は消滅するわけであるから、上告人らが調停の成立を図る態度をとりつづけていた以上、上告人らも、遅滞の消滅を当然予想していたはずであり、一方、被上告人も未払賃料は成立すべき調停条項にしたがつて履行すれば足りると考え、その調停継続中に賃料不払で解除されることなど全く念頭になく、そのため、ただちに全額を支払おうとしなかつたのであつて、その態度には、無理からぬところがあるということができ、しかも、被上告人は、本件解除の通知に接し、その直後に開かれた第四回調停期日に調停を成立させ、その条項どおりに履行していることからみれば、被上告人は、延滞賃料の支払につき誠意がなかつたとはいえない。それゆえ、上告人らが解除の意思表示をした当時においては、被上告人の側に延滞賃料不払の状態が続いていたとはいえ、前記調停手続が進行中であつて、前記のような経緯で遅滞の状態の解消への過程にあつて、そのための努力が払われていた以上、賃貸借契約の基礎たる当事者間相互の信頼関係が破壊されているものとはいえないと解すべきであり、このような特段の事情のもとにおいては、上告人らが、突如右賃料不払を理由として本件賃貸借契約を解除することは、信義則に反し許されないとした原審の判断は正当として肯認することができる。原審の事実認定、判断に所論の違法はない。所論は、原判旨を正解せず、右判断と異なる見解ないし原審の認定しない事実を前提として、原判決の違法をいうものであり、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条一項に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 入江俊郎 裁判官 長部謹吾 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠 裁判官 大隅健一郎)

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